自立ということ 2


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お向かいさんの屋根。
雪止めを屋根にとりつけた途端に、こんな氷柱ができるようになりました。
今朝の気温は零下11度位。キンキンに冷え込んでます^^。
マダマダ、ぬるいわ~っと思われた方、ごめんYO(笑)。


以下の記事は10年程前に書いた覚書のようなモノ。
今更ナニを~~~で、しかも長くて青い(爆)内容ですので、
お忙しい方は読みとばして下されませ^^。
ちなみに前回の「自立ということ」はこちら(笑)。



 「自立」という言葉から受けるイメージには、強さがある。
「あの人は、自立している」と形容されるとき、その「自立」の意味するところは、
経済的な自立だけでなく、身体的自立、精神的自立をも指し、なにものにも、
誰にも頼ることなく全て一人でまかない、生活していけるだけの力を持つモノ・・・
という使われ方をされることが多いように思う。

下段Moreに続きます^^。



 
☆紙切れに書かれた10年前の覚書き・・・・。
なんだか、少しも成長してないワとしみじみと思われる誕生日の朝(笑)。

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おまけのネムロ
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==お知らせ==
いつもお世話になっているピュンピュン丸さまがお仲間と一緒に写真展を
開催されることになりました。おめでとうございます。
今春5月の開催です^^。楽しみですね~♪

その開催に向けて、お仲間で期間限定ブログ
4色の猫〜 YOIRO no NEKO〜 「猫と僕らと、そして写真と」
http://yoiro.blogspot.com/
を立ち上げられています。
写真展に至る道のりを楽しませて戴ける贅沢な企画です。
あなたの心に響く風景の猫さん、言葉たちにきっと出会えるはず。
必見のブログですよ^^。ゼヒお立ち寄りくだされませ~~。






子どもの頃には、オトナというのはそれだけで「自立」した存在であり、誰にも依存することなく生きていけるものかと考えていた。何ごとも自分の意志で決定でき、独立した生計を営み、何一つ頼ることのないオトナになることが「他人に迷惑をかけないで生きる」自立した人間になることだと信じていた。

 親からの保護と支配から独立し、一人で生きていけるだけの力を持つことが完成された自立像であると思い込み、その為には何よりも孤独であることに耐えなければならないこと、頼れるのは自分一人の力であること、「他人に迷惑をかけない」ように、自分からは誰にも助けを求めてはならないことが、自立した人間には不可欠のことなのだと、漠然とではあっても信じていたのだ。

 けれども、実際に年齢を重ねていくうちに、自分の考えていた自立した人間像は社会の中でしか生きられないという人間本来の姿から最も離れたところにいるのではないか、という疑念を抱くようにもなった。「他人に迷惑をかけない」ように生きなければならないと教育された自分と、「どんなに頑張ったって、一人で生きていくことなどできやしない」「人間は支え合わなければ生きていけない」のだという生活実感の狭間で、「他人に迷惑をかけない」ことが必ずしも「自立」とイコールで結ばれたものとは思えなくなったのである。

 
 軽い右片麻痺と全失語という障碍を持った父はいわゆるADL(日常生活動作)においてはほとんど介助の必要はなかった。けれども、言語の機能は「聞く」「話す」「読む」「書く」というあらゆる点において障碍されていた。言葉によるコミュニケーションが難しいということは、想像以上に父にとっても家族にとってもストレスフルな状況であり、しばしば自分の思いが伝わらないことに激昂した父は意味不明のことをわめいて抗議したりもした。必要以上と思われる位ムスメの私に指図しようとし、思い通りにならないと当たり散らすことさえあった。

 以前は物静かで鷹揚だった父の変わりようにどう接したら良いのか戸惑い、悩む日が続いた。自分自身の生活が、父の障碍に侵蝕されていくような失望さえ感じてしまった。

 と、同時にムスメの私以外に頼るモノのナイ父のことを考えると、できるだけのことをしなければならない・・・という義務感や使命感を覚えてもいた。言語療法や作業療法、理学療法に通い続けることが、少しでも失われた機能を回復することに繋がると信じ、通院リハビリに精を出した。リハビリの合間に内科、整形外科、脳神経外科への受診も欠かすことができなかったので、退院から5年ほどは病院まわりに明け暮れる日々が続いた。

 父だけでなく私自身も障碍の受容ということから目を背け、障碍の克服だけを願う日々を送っていた。完全な回復など望みようもないと理性でわかってはいても、それ以外にどうして良いのかわからなかったというのが本当のところだったかもしれない。

 しかし、父にとって自ら回復を願いながらもリハビリに通う度に障碍の事実を突きつけられる日々を送らなければならないという事が、それまで培った誇りや尊厳をボロボロにされることだったと思い至ったのは父の表情からすっかり生気が失われてからのことだった。

 一人では外出することも、買い物に行くことも、病院に行くこともできない父にとって、「自立」とはなんだろう?回復することだけに焦点を合わせた生活は父本来の生活、病を得なかったら過ごしていたであろう本来の生活とどう違ってしまったのだろう?父自身も、そして私も、障碍の克服だけが完全な自立への道であるという凝り固まった考えに縛られていたのではないか。失われた機能に固執するあまり、今現在の生活そのものの充実に目を向けることをしなかったのではないか。父とそのムスメは、障碍にばかり目を向けることで一人では何もできない人間になってしまったと決めつけ、思いこんでいたのではないか。

 こうした意識の転換は、父の生きがいを探す方向へと進んでいった。生きがいなどというと大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、とにかく、日々が充実していると父自身が感じられるように過ごすこと、残された機能の素晴らしさに出会える時を持つこと、互いにできることとできないことを認め合い、支え合いながらそれぞれが自分の欲求の充足を考え、肯定的な生を生きることこそが、これからの生活に求められているのではないかと思い始めたのだ。

 昔からの趣味であった書道を始め、旧来の友人と囲碁に興じながらそれでも病院通いから離れることはできなかったけれど、少しずつ父の生活には楽しみが増えていった。毎日、散歩と書道のお稽古を欠かすことがなく、孫の成長をそばで見守り、季節毎の旅行を楽しみながら父は晩年を過ごし、ある日何の前触れもなく逝ってしまった。

 マズローの欲求階層説ではないけれど、人間が自分自身の生を肯定的に捉え、生きていることに充足感を感じられるためには「自己実現」への希求がなくてはならないし、その機会が保障されなくてはならないのだと思わずにはいられない。

 「自立する」ということは、何もかも自分の力でなすことができるという「生産性」だけを肯定し、追求することではない。自らが主体的に生にかかわり、生き方を選び取りながら自己の責任において行動化していくことなのだと思い至らずにはいられない。

 「他人に迷惑をかけない」ように生きなければならない・・・という自分の施された教育。
では、「迷惑」って一体何だろう?
誰かに助けを求めることも、「迷惑」をかけることなのだろうか?
そんなはずはない。自力ではどうしようもない事に対して援助を求めることは躊躇う必要のないことであり、「迷惑」でもなんでもないことなのではないか。むしろ、助けを求めることを許容し合う関係を築き上げることこそ、ありのままの生の営みに必要なことなのではないかと、しみじみ思われてならないこの頃である。

by urankkkao-ji | 2010-01-17 12:01 | とんでもないヤツ  

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